2023.06.28
障がい者生涯支援機構立ち上げのきっかけ
副理事長岡本と理事小林は高校時代からの親友だった。
高校卒業後はお互い別々の進路を進み、なかなか会えないまま、年月が過ぎていったが、十数年後にSNSをきっかけに再会した。
再会を果たしてから定期的に会うようになった2人。
とある日、岡本は母親が余命宣告3ヶ月のステージ4の癌になったことで、看護師である小林に治療方針や投与する薬の相談をしていた。 親が子より先に死ぬのは世の常であり、私たちも親の死に向き合う年齢になったのだと 2人で話をしていたところだった。
小林には先天性の病気を持って生まれた二人の娘がおり、障がい児の親はこどもを看取らないと死ねない 「もし、私が今そうなったら、2人のこどもを殺して私も死ぬ」今の状況では2人の子どもを残して先に死ねない。と小林は涙を浮かべながら言った。きっと障がいのある子どもを持つ親は一度は考えたことがあるはずだと。 それから、親を亡くした障がい児がどう生きていくのか、どんな制度があるのか、どんな不安があるのか、それを1つでも良くするためにどうしたいのか、どんな社会なら同じ悩みを持つ人々が少しでも救われるのか、岡本と小林は真剣に話し合った。
30代で親友に「 こどもを殺して私も死ぬ 」と言われた岡本は、自身の持ち得る何かで小林を助けたいと思った。 毎日毎日不安な未来と向き合いながら育児する小林。
2人なら何かできると思った。